現在、義務教育の学校に行くことができない長期欠席と言われる子どもたちの数です。少子化と呼ばれる社会において学校とは何かということを問い続ける間、生じた数字は大変重いです。毎年、期待と希望に胸を膨らませて入学してくる新一年生たちが中学校を卒業するまでにどんな歩みを残すのでしょうか。研修や研究発表会といったところではこれまでも華々しい子どもたちの活躍の様子を目にしてきました。そこで見る子供の姿は大変生き生きとしていて素晴らしい活動や学習をしています。ところが不登校やいじめ、さらには自殺といった痛ましい事件は20年前から実際に存在しよく目にするようになりました。実際に教育が大変難しい子どもたちに相対して苦しい日々を送ったことも少なからずあります。
20年前からなぜこのような状況に陥るのか、自分はどう指導すれば良いのか迷っていた時期がありました。日本の置かれている社会状況、子どもの発達について、学校の仕組みや政治のことなどさまざまな要因について研究してきたつもりです。幸い学校の教職員としてこれまでなんとか業務をしてきましたが、ここ10年の問題の増加の一途は加速しているとしか思えません。
政府はこの問題に対して子ども庁やデジタル庁の創設といったことで対処についての態度を見せています。文科省も新しい学び方について研究を深め教育改革を推進しています。さらに、経産省も新しい学習について提言を繰り返しています。
問題は地方自治体の取り組みと学校現場の教職員の意識がほとんど変わっていないことです。現在の学校教育の課題は多すぎる指導内容と子どもを取り巻く問題に対して縦割り行政が崩せず、バラバラなこと、教育現場での指導者不足と研修不足といったどうしようもない事態に追い込まれています。教職員の年齢構成も高齢者と新卒から数年経った若い職員といった二極化となり、苦しい状況が続く上に働き方改革が叫ばれる中、業務は減少しないまま、労働時間だけ短縮しようとする有様です。教職員も数名の職員が業務負担が大きすぎて健康を破壊され休職に追い込まれる状況が続いています。このことは今に始まったことではありませんが、地方ののんびりしているところほど問題が先送りされているように感じました。現在のベテランと呼ばれている高齢者や教職員及び保護者は昭和に行われていた学校教育しか知りません。問題となっていることを指導者の責任に押し付けたり教育委員会に押し付けたりすることはあっても根本的なことに目を向けていることはなかったと思います。少なくとも自分の周りにはいませんでした。30年のツケはあまりにも大きすぎます。しかしながら、まだこの仕事ができていることは奇跡でしかないと感じています。生かしていただいて、ありがとうございました。