食料生産

 日本の農業は高い技術があります。戦前戦後とあらゆる土地を開墾したくさんの農作物を生産できるように栽培技術も品種改良も研究が進んできました。国土はそれほど広くはなく国土の70%以上が産地である日本は農地となる田畑は大変少ない環境です。しかしながらこの少ない国土を気の遠くなるような努力により米づくりをはじめたくさんの作物が育つ農地として広げてきました。もともと温帯の国土がゆえに気候的には米作りに適しています。なにより、四季がはっきりしており、それぞれの季節が織りなす美しい情景にマッチした田園風景が広がる素晴らしい国土といえます。世界的に見てもこのような国はほかに例を見ないと思います。低緯度で亜熱帯の位置にある国土でありながら、冬にはたくさんの降雪があり山はゆっくり大地に水をもたらせてくれます。まさに命を育む山です。地球上で貴重な淡水をこれだけ保有している国は数少ないと思います。日本はまさに食の宝庫です。

 日本における近代栄養学の始まりは19世紀のドイツのホフマンが提唱したものが現在でも大きく影響しています。現在でも小学生が家庭科で3大栄養素として学習するわけですが、明治時代に来日した外国人が人力車を引く男性の食事が玄米のおにぎりと漬物だけという食事に驚嘆し、西洋式の肉食中心の食事に変えればもっと強靭化するのではないかと仮定して、肉中心の食事に変えたところ以前のように走ることができなくなったという逸話が残されています。戦時中は日本国内でも兵站として玄米と白米でどちらが優れているか研究がされていたようです。とにかく栄養学の発達とともに、食事の研究はホフマンの栄養学をもとに取り組まれてきた歴史があります。

 敗戦後日本は食糧難の窮状をむかえることになります。そこで、行われたのが余剰小麦の放出と学校給食でした。食べることに困った人たちや子どもたちを支援するという格好の目的になりました。このことで、日本人の食文化は大きく変わることになります。マスコミのプロパガンダで米よりパン食がすすめられ、米を食べると脳の働きが低下するとまで言われました。そして、農地改革で日本の農業は大変革がおきました。それまでの農地の計画的な有効活用は消滅していかざるを得ませんでした。その後の工業と商業の発達により第一次生産業は衰退の一途をたどります。これも敗戦による日本の弱体化計画の一環ではないでしょうか。戦前、日本人の強靭さは他国の脅威となっていました。思想、宗教、教育などあらゆる日本人の文化の研究がされる中で食事内容についても進められ、日本という国が二度と戦争できないようにする目論見の一つの戦略だったと思われます。

 さて、世界の覇権国になったアメリカでは豊かさとともに糖尿病や肥満、がんなど生活習慣病が横行することになります。1970年代アメリカのマクバガンレポートには食の改善による医療的な効果について言及され、国家政策として取り組むことになりました。そのため、生活習慣病やがん患者については減少傾向になってきています。日本でも1990年代から食の見直しが広がっていきますが、いかんせん農業の衰退に歯止めがかからず、食料を海外に依存することになります。少量自給率が40%を下回るという危機的な状況になっています。食の多様化は広がる一方です。一見すると豊かな食文化と見えますが、実は日本人の体の内側からむしばむ要因になっているとも言えます。これまで主食として大切にされてきた稲作が1960年代を境に大きく衰退しました。さらに、食事内容の変化は食源病といわれる病を拡大し続けています。医療費は高まる一方であり、国内食糧生産額をはるかに超える状況となっています。一見すると食料があふれている国内ですが、その内容は恐ろしいことになっているのではないでしょうか。詳細については触れませんが、危険な食料が蔓延しているのです。

 さらに、この円安で物価が上昇している中で、海外に食料を頼る私たちは今後に備えて農業を重大な国家政策として見直していかなければなりません。

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