学校ではこの時期運動会を行います。かつて、運動会といえば秋のイメージがありましたが、5月の半ばから終わりにかけて実施する学校が増えてきました。代替半々といったところでしょうか。子どものころは春の運動会と秋の運動会の2回行われていました。当時は高度経済成長真っ盛りで、とにかくレベルアップをすることが流行だったと思います。東京オリンピックがおわり、スポーツが盛んになってくるにつれて、体を鍛える事や運動に関して熱が高くなったように思います。どの学校にプールが設置されたのもこのころでした。子どもたちの育成にスポーツを取り入れようとスポーツ少年団が相次いで創設され、競技会や大会も次々と新しく生まれました。
当時の指導者は戦前の軍隊で活躍した人や、戦時中に子どものころを過ごした人たちがまだたくさんいて現役で働く世代でした。今から考えると戦前の教育は良く浸透していたように思います。大人から聞く話の中に戦争中のことを聞くことがたくさんありました。ただ、終戦後の日本の変遷についての学習はほとんどありませんでした。ただただ、日本は戦争をしてよくなかったことや平和主義になったことや民主主義になったことなどを覚えました。そして、核兵器や米ソによる冷戦があること、何よりアメリカが進んだ国で日本は目標にしていることなどを学びました。
日本を復興していくためにはひたすら強さを求めました。ただ、戦争に強くなることではなく、経済的に豊かになることや、不撓不屈で世の中を支える精神力を育成することが重要で、そのためにスポーツは利用されました。子供向けテレビ番組で「根性」という言葉がたくさん登場して大いに影響されました。「同じ釜の飯を食う」仲間とか、同期の桜などは現代でもよく聞かれるフレーズですが、当時も大切にされてきたことでした。今考えてみると戦前の教育は驚くほど人々の常識となってしみ込んで文化を作り上げていたのだと思います。それには、団塊の世代がまとめて学校で過ごしていた時期が影響していると思います。学校で学ぶことといえば学習内容よりも学校に行ってなんとなく感じた集団心理が作り上げた文化だったのではないかと思えるのです。よくもわるくも、そのことは日本の経済を興隆させるのに大きな力になったと思います。当時も差別、いじめ、障害、ジェンダーなどの問題があったにせよ、マイノリティの問題として注目されることは少なかったのではないでしょうか。ただ、それでも人権問題として人道的な立場から教育では重要視していた人も少なからずいたように思います。
さて、運動会のことにもどりますが、そのような社会の変遷を背景にして運動会もスポーツの在り方も変わってきています。特に学校での運動会も戦前の軍事色の強いものではなくなりました。鍛えられた精神と身体の集団的な表現活動からレクレーションとしての色合いを強めているものへと変わってきています。さらに、子どもたちが自主的に楽しみながら仲間づくりの一環としての取り組みを表現するような活動へと変わりつつあります。特に小学校でも自主的な仲間づくりとして縦割り活動を取り入れているところが増えてきています。運動会という学校行事でもこれまでのような指導者の合図に従って動くことより自分たちで考えてつくるという方向性に移り変わってきているのです。観客のためにする活動というより仲間づくりを自分たちで作り上げる学校行事としての運動会になりつつあります。