この言葉は自分の嫌いな言葉の上位に来る言葉です。学校現場で働いていると否応なしにこの言葉にさらされ続けてきました。この10年間は大変な状況です。あちこちでいじめや不登校問題行動といったことが頻繁に発生しているのです。学校現場がこのような状況になっている、いやなることは必然ともいえる事でした。時代とともに学校が変わるとか、学校改革だとか30年以上言われ続けているのではないでしょうか。30年前は最近の先生は…などと言われ続けています。この状況において国家体制として教育問題を取り上げ、内閣直轄組織として現場に政策を向けました。ところがどれもこれも教員の負担を押し上げ、挙句の果てには働き方改革と称して現場を混乱に陥れました。免許状の問題も本の氷山の一角にしかすぎません。生徒指導とはかれこれ50年間使用されてきた言葉のはずです。生徒指導のできない教員はだめだと教えられてきました。もともと学校現場の荒廃は大学の紛争が起きていた1960~70年代から始まります。高校が荒廃し様々な問題がおきていたのは70年代、80年代には中学校の荒廃がおきます。やがて90年代になると学級崩壊とか登校拒否そして不登校といった問題が生まれ、現代では小一プロブレムと称して幼児教育の問題も取りざたされています。新しい指導要領ができて昨年度から実施されてきましたが、ここでコロナ禍ともいえる2年間が過ぎました。そして現在でも生徒指導は過去最悪とも言ってよい統計を記録しています。管理教育と法的な責任の前に学校現場は厳しい状況ですが、外部連携として警察をはじめ様々な援助をするように言われています。小学校で警察と連携するといえばなんだか物騒な話にも聞こえます。実際に警察と連携したのはいじめにより命を落とすといった問題になったとき教員の指導の落ち度を調査し刑事事件として取り扱う場合となっています。20年前の内閣が聖域なき規制改革といった言葉で改革がこの頃になって功を奏しているといえるでしょう。さて、生徒指導はこのまま問題行動とともにどのようになっていくのか、打開策はあるのか、正念場となっています。