水泳

 学校での体育学習で水泳があります。陸上運動とは全く違った水の中での運動はどんな良いことがあるのか考え続けてきました。特に詳しく研究したわけではないものの、学校では当たり前にこの季節には体育の学習で行われます。子どもたちは水泳の学習が大好きで水の中に入りたがります。かなり冷たい水温にもかかわらず、虫が飛び込んで泳いでいますが、虫嫌いの子も、好きな子もプールに入ります。水の冷たさにもかかわらず、唇が紫色になっても、歯がかみ合わないほど震えてもプールに入ります。6月も終わりに近づくにつれて水温も上昇し水に入ることが気持ちよく感じます。それでも、30分も入っていれば体の芯まで冷やされ寒くなってきます。子どものころは何ともなかったのですが、最近は、加齢のためか冷えすぎると調子が上がりません。これも、「年寄りの冷や水」ということかと身に染みて言葉の意味が分かるようになりました。ところで体育での水泳の学習ですが、歴史はそれほど長くないようです。スポーツとしての水泳は古くはオリンピックで日本が活躍していた時代がありましたが、しばらく外国に押されて勝つことが難しくなっていました。しかし、近年の日本人選手の活躍は水泳日本という言葉を彷彿させる活躍です。今や人口の少ない自治体でも温水プールの運営が盛んでたくさんの人々が水泳を健康づくりに役立てています。

 小学校では1970年代からプール建設が増えました。今では一つの学校に設置されていることがほとんどで、そればかりかスイミングスクールが広く浸透し、子どもたちの多くが習い事としてスイミングスクールに通っています。

 戦前までは一部の小学校や自治体で設備がありました。昔から水の中での運動は様々な観点から教育に良いことが言われており取り組まれてきました。私が小学生の頃は水泳大会の主催者代表のあいさつで「全身運動」という言葉をよく聞きました。陸上運動と水泳運動は体育的な観点から見て身体能力を高める基礎として重要視されてきた経緯があります。これも、戦前から続く軍事色の強いものだったのではないかと思いますが、学校の創設当初からの流れを受け継いでいると思われます。

 戦後は1970年代の高度経済成長から小学校でのプール建設も進みました。水泳学習は豊かな現代の生活とあいまって学校でも進展しました。現在はその当時作られたコンクリート製のプールも老朽化しており、新しくFRPという強化プラスティックを素材としたプールに作り替えられているところが多くなりました。

 さて、水泳学習の意味ですが、2011年の大震災以降、どの学校でも水難事故に対する備えとしての水泳学習に重きが置かれるようになってきました。それまではどちらかといえば競技に対しての泳法練習がほとんどでした。したがって、クロール、平泳ぎ、背泳ぎ、究極にはバタフライといったところです。バタフライについては指導要領にはありませんが、水泳大会には種目が存在したため水泳学習ではされているところも多いように思います。また、指導要領には25mを泳げることが目標とされていますが、競技では50mが採用されているため50m及び100mです。さて、体育の水泳は競技色が強く反映されています。そうすると運動能力を評価することが容易だったと思われます。

 水泳学習による発達の効果には別の側面を感じています。もともと水泳学習が始まったときにはあったものが次第に薄れており、根底にありすぎて話題にも上らないようになっています。人間の皮膚感覚に水は直接働きかけます。皮膚への水の刺激が血流や感覚を発達させ運動を加えることで人間の成長に有益に働くことが言われています。皮膚感覚を鍛える乾布摩擦をしている人はあまりいなくなりましたが、同じような理由で水の刺激は大変効果的です。

 大きな水の中に体全体を浸すことで生じる水中でのバランス保持能力が身に付きます。浮力と重力のバランスは無重力状態を体感できます。無重力体験の中での逆さ感覚は近未来にも訪れる宇宙時代にも必要な能力かもしれません。また、液体としての水は粘性が大変高く、運動するときの抵抗は大きいのですが、出来るだけ抵抗を小さくする姿勢は流体力学は自分の体を使って体感できます。運動による身体の一部にかかる大きな衝撃が少ないことでけがの心配が少ないです。安全で適度な抵抗が得られることで十分な筋力の発達に効果的です。

 また、水は精神面にも大きな影響があると感じているのです。よく知られているように人間は水分が7割を占めます。地球は水があまりにも多く恵まれているので当たり前すぎるのですが、今の科学では解明できていない人間への影響はあるのではないかと思います。とくに、何らかの情報伝達物質としての役割です。イルカやクジラは人間には聞き取れない高周波数の音波を利用して遠距離の意思疎通をしているといわれます。極めて高次元な世界とつながっている可能性がある大変特殊な液体であるということです。一説には水そのものに記憶する特性があるのではないかと研究を進める科学者もいます。人間の記憶と思考にかかわる未解明の力が眠っている可能性もあります。少し前に「水からの伝言」という書籍がありました。学校で道徳の学習に使用したところ似非科学と報道されバッシングを受けました。まだ未知数の波動力学からすると全くあり得ないわけではなく、否定していたマスメディアのバッシングの思惑はどこにあるのだろうと感じています。

 近年まで当たり前に行われてきた学習が大きく変わったのはやはりコロナ感染症からです。学校での水泳学習の時間は暑い時期に少しでも子どもたちの運動ができるようにするためだったり、避暑の役割だったりしました。暑くて通常の教室での学習が困難ということもあったのでしょう。ところが、熱中症の予防に向けて10年前より教室にも冷房が設置されてるようになりました。今では、山間部の比較的涼しい地域にも設置が義務付けられ夏でも快適な教室となっています。プールは高額な設備と大量の水を扱うためとても贅沢な施設だといえます。水泳学習は体育の年間計画では6月から7月までの約1か月です。時間にして10時間前後と定められています。指導者は水泳学習の意味をどこまで考えているかわかりませんが、少なくとも安いものではないでしょう。設備については数校に1か所にとどめ新しいプール建設を見合わせたり、民間団体の水泳指導に任せるような動きがあります。学校からプールが消えていくようになるかもしれません。豊かな水に恵まれた我が国ですが、上水道をぜいたくに使った今の学習は過去のものになってきているように感じます。かつての様に、川は海で学習するようになるかもしれません。

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