学校現場が危機的な状況になっていることが報じられてからずいぶんたちます。先日、閑谷学校へ訪れたとき講堂では昔ながらの授業がされていました。論語の素読といわれる習練で先生が読んだ論語の文章を生徒が真似て一斉に読み上げるといった学習でした。実にシンプルで生徒はまるで修行僧のような感覚ですが、これはこれで周囲の自然と学校の建築様式が素晴らしくマッチしており日本の伝統文化中で紡がれる背筋の伸びるようなすばらしい教育環境を感じました。同じ空気感が福井県の永平寺に行ったときにも感じ、あたかも日本の禅を彷彿させるものです。
学校での授業というものはここが原点になっているように感じました。
近代の学校は約150年前に明治政府による近代教育に基づく学校制度によって作られたものです。当時の政府は国の近代化を進め西欧列強に肩を並べるために取り入れられた制度でした。戦後では団塊の世代による人口増となり施設と教職員の不足が深刻でした。効率の良い学習をするために工業化と科学の発展による効率よく知識を伝達するための一斉学習を繰り返してきました。それでも、世の中に教職員の権威は保たれ、学校も地域の重要な教育機関として大きな役割を担ってきました。ところが、社会は好景気に湧き、昭和40〜50年代の高度経済成長に伴い大学をはじめとした教育機関の紛争や校内暴力などが報道を賑わせました。
その頃は「若気の至り」とか「元気がある」とテレビドラマになったり、漫画になったりと、ある意味もてはやされた側面もありました。昭和から平成に変わりその頃から個別指導などの一人一人をより大切にした教育のあり方が検討され、学習指導要領もゆとりを重視したものと変わってきました。
しかしながら2000年を過ぎるころから校内暴力の低年齢化と学級崩壊、不登校問題、いじめといった新たな問題が加速的に増加。国際学力調査(PISA)が一時少し低下したことをきっかけにマスコミが一斉に低学力だとゆとり教育の批判を繰り返しました。
この当時あちこちで「カリスマ」という言葉が流行りました。教師のカリスマ性が取り沙汰された記憶があります。
全国の公立学校では全国学力一斉テスト(全国学力・学習状況調査)実施が始まり、市場原理を導入したかのような学力競争が公立小中学校で繰り広げられました。
ある県では教育委員会の指示で学力調査対策問題をさせることやプレテストを作成し点数が上がらない学校には教育委員会が現場の教職員に直接指導をすることなど徹底的な得点アップへの取り組みを続けていました。
苦手な子どもたちに徹底指導を繰り返しました。
テストで思うように得点できなかった子ども達が校長先生に「点数が悪くてごめんなさい。」と謝罪を述べたという逸話もあるほどです。
得点が低かったある学校では地教委が介入して長時間に及ぶ校内研修が組まれ指導され続けた学校もあったそうです。
全国で5位までに入ることがミッションだと研修で受けたことがあります。
なりふり構わぬ学力向上の取り組みでしたが、同時に小学校への英語や道徳の教科導入などが教育課程に組み込まれることが決定し、現場の教職員は相次いで激務となり長時間労働が問題になってきました。
1日14時間は学校で業務をしていました。朝6時半に出勤して、20時半に退勤することが通常でした。今から思えばよくがんばった!?
学校改革に関しては長らくいわれ続けており、選挙があるたびに選挙演説やポスターに必ずといって良いほど挙げられてきましたが、取り組めば取り組むほど苦しい現状になってきていることは確かです。また、不安定な社会情勢となった今、学校の業務過多は大きな問題となりました。問題の一つに教職員不足があります。病気休暇となった教職員の数はうなぎのぼりとなっている中で、学校が完全にブラックだと知らされた大学生が教師を目指さなくなり全国の学校で教員不足がおこってきました。
学校が荒れてきた影響と過激な先生方の働き方はタイムラグと共に今噴出している気がします。現場にいるといつかはこうなるという予想はついていました。
今、文科省はもとより全国で学校のあり方について再考する情報が溢れるようになりました。学校とは一体何か。時代が変っていくにつれ世の中どうなるのか。まさにVUCAの時代を迎えています。そこでこの人の登場です。一読をお勧めします。
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