土日でも学校に出勤しなければならないほど学校現場は厳しくなってきています。このことは5年前までは普通の出来事でした。20年以上前から学校は常に誰かいる状態が当たり前だったのです。以前は警備会社との契約もなく、日直がいるという状況がありました。古い学校になると宿直室という畳部屋がありました。現在の学校ではそのようなことは無くなりました。施錠した学校に警備会社のシステムが導入されたのはかなり近年になってからではないでしょうか。宿直当番にあたった職員はそれで給料が倍になっていたといいます。現在、教職員の給与は固定されています。残業しても教職員特別給与措置法という40年も前に作られた法律によってほんの僅か給与に上乗せされたことで放置されたままとなっているのです。最近「働き方改革」により注目を集めてきているこの法案ですが、おそらく変更になることはないだろうと思われます。それよりも、学校改革と叫び続けて学校での学習についてまたはコミュニティスクールやICT利用、英語学習導入、道徳の教科化など業務は増え続けています。特にICT利用促進については多くの企業が参画し、機器やシステムの導入に躍起になっています。文科省より経産省の方がはるかに力強く事業を展開しているのです。
2000年から続けられてきた聖域なき構造改革により学校に大きな変化が生じましたが、教育問題は組織的構造的な営みから生じていることは事実です。非正規職員が学校で多数勤務していますが、今後はほんの僅かの正規職員とたくさんの非正規職員といった構成になり、給与体系も一新して正規非正規がほとんど変わらない給与となると思われます。さらに、今言われているように教職免許の有無についても曖昧になり、誰でも学校で働けるような時代となるでしょう。放課後の児童預かりも急激に設置件数が増えました。少子化にもかかわらず子どもを預ける施設が学校だけでなく、あちこちにできたことで教育は学校だけのものではないという世の流れとなっているように思います。学校での役割とは一体何か。教職員の働き方はどうなるのか。急展開が待ち受けていることでしょう。
これに合わせて、今の学校業務を危惧した若者たちは次々と学校での仕事を諦めています。そして、文科省が急いでいるのが定年退職の先延ばしと退職教員の再雇用です。苦肉の策としか言いようがないのです。人生100年時代に60歳で隠居とは行かないでしょうが、これまでの働き方の中で苦しんできた教職員がこれまで通り学校に戻ってくるかといえば、難しいのではないでしょうか。学校の教職員はある意味、学校に適した人たちでもあります。理想の学校や学級に向けて、ひたすらに努力を続けてきました。中には職務を諦めたり、心が折れたり、元々不向きな性格の持ち主もいないわけではありません。しかしながら、人格を歪めるほど厳しい職務に追われていることも事実です。ここ15年の学校での教職員の業務は熾烈を極めています。精神的に病む職員も増加の一途となった状態で、どれくらいの割合で退職教職員が勤務できるか疑問です。おそらく、学校の規模や、児童の状況に左右されることとなります。そうなると、都市型の大規模校や教育困難校などは苦境に立たされることは必至ではないかと思います。