このところ世界の変調と共に日本の重要性について耳にすることが増えました。
よく見ている動画に解説してあったので購入して読んでみました。
これまでに知っていた日月神示の内容と重なる部分もあるので興味深いところです。
そして、にわかに盛り上がっている縄文人の文明ともつながる部分を感じさせる一冊でした。
『オアスペ』には、霊的な世界の仕組みから科学的な宇宙論まで、さまざまなヒントが盛り込まれている。そのため、読者の世界観・歴史観・宇宙観が広がる書であることは間違いない。それらの見方を、日本でもよく引き合いに出される霊的な歴史文献であるところの「カタカムナ文献」「竹内文書」「ホツマツタヱ」「日月神示」などが伝える世界観や歴史観、宇宙観と対照あるいは比較検証をすれば、一致点や相違点が見えてくるはずだ。 相違点はそれぞれの個性であり、一致点は人類の普遍的な真理であると見ることもできる。そして、そこには必ず、人類にとって重要な真のメッセージが込められているのである。
あとがき
人類の進化についても辻褄が合うところがあります。
近年の新たな発見やDNA分析の研究でネアンデルタール人のことが話題になりました。
これにも符合しているということです。
見つかった人類の化石は、その多くが『オアスペ』が発表された後に発見されているにもかかわらず、驚くほど『オアスペ』の人類史の記述と一致している。 たとえば、イヒンが誕生する前に地上に存在したとされるアスは、『オアスペ』が出版された約一〇年後の一八九一年に、インドネシアのジャワ島で最初に発見された原人ホモ・エレクトゥスに酷似している。 <中略>
もっとも一致する可能性が高いのは、ドルークと旧人のネアンデルタール人だ。一八五六年、ドイツのネアンデルタールの石灰洞で最初に発見された。当初、ネアンデルタール人はホモサピエンスとは別種であるとの考えが優勢であったが、二〇一〇年にホモサピエンスとネアンデルタール人との間に混血の痕跡があるとする研究結果がサイエンス誌に発表されている。その混血の結果が、イヒンとドルークの間に生まれたイフアンだとしたら、イフアンこそ現代の人間(新人のホモサピエンス)だとする『オアスペ』の主張との矛盾はなくなるのである。
また、ドルークとネアンデルタール人の絶滅年代も矛盾しない。ネアンデルタール人は約三万年前に絶滅したと考えられていたが、二〇〇五年にイベリア半島南端のジブラルタルの沿岸の洞窟から見つかった石器類や痕跡と、遺跡の放射性炭素による年代分析では、二万四〇〇〇年前まで生存していた可能性が示唆されている。<中略>
原人から旧人、新人への進化を仮定した場合に生じるミッシングリンクの空白を完全に埋められることだ。
オアスペの人種は化石人類とも符合(P193)
日本人に対するメッセージがあるのです。これが重要だと感じました。
「見よ、あなた方は、これから二万四〇〇〇年後に訪れるであろう『天国の御業( The Labors of Heaven)』を解き放つカギとなるであろう。というのも、あなた方はすべての人類の中でもっとも古い人たちであると評価されるからだ。私が来て、海を解放するまで、あなた方はすべての民族と国の中で特別な種族のままでいるだろう。 それゆえに、あなた方は、神の儀式と儀礼の名を守り、とりわけ大地と水、大空と船の名前を保持し、舌と唇を使わずに人間が喉を通して発するすべての音を保存しなさい。そうすれば、神の栄光のときが来たときには、あなた方も光り輝くであろう。 あなた方はまた、平和な心と高潔さと勤勉さを持ち続けなさい。そうすれば、後に私の威光と偉大なる精霊(訳注:ジェホヴィのこと)が現れたときに、証人となることができるからだ。そのように日本は定められ、今日に至っている」(第一一章「諸首長の第一の書」の第一節から)
第7章日本の未来と枠割(P246)
以前取り上げたカタカムナのことが出ていると思われます。
現在の日本語は「やまとことば」といわれる独特の言語体系であることが知られていますが、その源流となるカタカムナは重要な意味を持っていることを記しています。
日本という国の成り立ちがどのようなものか古代まで遡って考えを改めていく必要がありそうです。そして私たちの考え方や生き方も見直していく必要があるのだと感じさせられました。
やはり、次は教育です。テペスアロー(編注:秋山氏が他の惑星で見た、まったく異なる種類のスペースピープル同士が協力して学ぶ学校のこと)です。つまり外国人同士とか、異教徒同士のように、異なる者同士がお互いに教え合う、お互いに育て合うということが大事になります。今は教育の焼け野原のような状態です。若い人たちは個人主義に大きく偏ってしまったように思いますし、老人たちも自分たちの資産や生活に固執するという有様です。私たちを含めて、老人はやがていろいろなことを忘却し、若い人たちの負担になることも考えられます。やはり若い人たちの中に、何が重要なのかがわかっている人が出てこなければなりません。我々の世代にできることは伝えることぐらいです。ちゃんと次の世代にリレーすることです。
異教徒同士が学ぶ学校作り・教育が急務(P261)